3章 狂った福澤諭吉のシナリオ
近代的な国家を築こうと願った福澤に対し、中央集権的な国家を築こうとした長州藩の伊藤博文達は、北海道官有物払い下げ問題で窮地に陥った薩摩と組み、大隈・福澤一派の追放を行った。これが日本の運命を変えた明治十四年の政変である。
明治十年代の明治政府において、国会開設運動が盛んになる中で、政府内でイギリス型の議院内閣制(大隈、福澤が主張)を採用するか君主大権を残すビスマルク憲法(伊藤博文、井上馨)を採用するかの論争があった。岩倉は議員内閣制を取らず君主大権を温存する伊藤案を取り、伊藤に憲法作成を委ねることに決めた。・・・