『福翁百話』
6章 福澤諭吉 晩年の境地
福澤諭吉は1898年に脳溢血にかかり1901年に逝去したが、最晩年に次々と著作を発表した。1898年には『福翁自伝』を脱稿し、1897年には『福翁百話』が単行本として発行された。
これに先立ち、1896年に義塾出身の古老たちの懐旧会での演説の内容を一部手直しして「慶應義塾の目的」とした。当初の演説には「あたかも遺言のごとくこれを諸君に嘱託するものなり」で終わっている。ここに「慶應義塾の目的」の全文を掲載する。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず。その目的はわが日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、これを口にして言うのみにあらず、躬行実践、もって全社会の先導者足らんことを欲するものなり」(注。躬は自らという意味。躬行とは自ら行うの意)・・・