安定した愛着形成のためにできること。
多くの母親は子供が生まれたこと、母になれたことの嬉しさもつかぬま、様々な不安に襲われると思います。「私の子育てこのままでいいのかな?」、「ぐずる我が子何か問題でもあるのかな?」、「寝つきが悪いけど大丈夫かな?」、「難しい気質の我が子、どう接すればいい?」、「安定した愛着形成のためにはどうすればいいのかな?」という不安の嵐に巻き込まれるのです。
はじめから母親という役割を上手にこなせる人は誰もいません。我が子と関係するすべてのことに自信をなくしたり、不安に思うのは当然なことなのです。その次から次へと襲ってくる不安からついつい育児の本に手を伸ばし、不安を期待に切り替えて張り切っても、実際我が子はなかなか本に書かれてあるとおりにはいかないという経験話はそれほどまれではないと思います。育児の先輩に相談し、同じ方法で我が子に接してもなかなか同じようにはいかないものです。そもそも人間は数学みたいに公式を覚えされすれば、この問題が解けると言ったようなものではありません。残念ながら育児には公式のようなものはありません。
そもそも人間には気質に個人差もありますし、ある行動に対する心理的な原因というのは実はそれほど単純ではないからです。すなわち、このとおりにすれば必ずしもどの子供でも安定した愛着が形成されると言い切ることは難しい気がします。しかし、安定した愛着タイプを予測することができる養育者(主に母親)の行動の特徴は、様々な論文や本で言及されていますのでご紹介したいと思います。
表1:安定した愛着を予測できる母親の養育行動の特徴 | |
養育行動 | 特徴 |
敏感性(sensitivity) | 幼児の信号に直ちにそして適切に反応する。 |
肯定的態度(positive attitude) | 幼児に肯定的な感情と愛情を表現する。 |
同時性(synchrony) | 幼児とやさしくまた双方的相互作用(reciprocal interaction)の交換をする。 |
相互性(mutuality) | 母親(養育者)と幼児が同じことに目を付け一緒に相互作用をする。 |
支持(support) | 幼児の活動を近くで見守りながら情緒的に支持する。 |
刺激(stimulation) | 幼児に頻繁に直接的に活動を提供する。 |
出所:De Wolff, M. S., & van Ijzendoorn, M. H. (1997). Sensitivity and attachment: A meta-analysis of parental antecedents of infant attachment. Child Development, 68, 571-591. |
つまり養育者である母親もしくは父親が幼児の信号である泣く行動、難語また表情(顔をしかめるなど)に即時にまた適切に反応(オムツを替える、抱きかかえるなど)し、また笑顔などで肯定的な感情を幼児に表現すること、そして幼児との関わりのなかで同じところを見つめ一緒に相互作用をし、また幼児の行動に対して情緒的に支援(歩き始めた子供に「よくやった」などの反応をするなど)をしたり、幼児に時には直接的に活動を提供する(「これやってみる?」などと声をかけるなど)という養育の特徴は安定した愛着関係を予想できるということです。
簡単に言いますと、我が子の小さい信号に気づく敏感性またそれに適した反応ができる反応性、そして育児に一貫性を保つことで子供が予測できまた安心感を抱くことができる育児をすることで子供との安定した愛着形成が作れると言われています。
しかし、母親にも母親の事情(我慢が出来ないほど眠い時もあるでしょうし、夫婦喧嘩の直後で落ち込んでいる時もあるでしょう。また、世代間転移1が原因の場合もあります。)があるのです。 自分でも抑えきれない感情などの内的要因に加え、何らかのイベント(会社でのトラブル、養育者の親との死別など)などの外的要素のため、子供とちきんと向き合えず、日常生活でなかなか守れない時があるのです。大丈夫です。たとえ専門家であっても、すべてを完璧にこなすことは出来ないのです。筆者は母親が一つだけ守っていれば愛着に大きな損傷を及ぼすことはないと考えています。それは母親(養育者)の姿勢です。まず一つは、自分を知ること、次に我が子の気持ちを知ろうとする関心、最後に分からないことや育児に不安を感じる時は専門家の力を借りるようとする(予防という意味での育児コーチングをお願いするなど)謙虚で誠実な姿勢です。このような養育者の姿勢で向き合えば、安定した愛着はもちろん将来深刻な心理的な問題を抱えることなく、親子関係は保てると思います。
注 世代間転移:親の愛着タイプは子供の愛着に影響を及ぼし、また世代を継ぎ伝達されること。例えば、虐待され育った母親が頭ではいけないと思ったいても自分の子にも虐待を振るってしまう傾向があるということ。