コラムの目次
幼稚園・小学校受験所感
昨年の受験は概ね一昨年と変化はなかったと思いますが詳細は今後コラムに漸次投稿します。昨年度私として感じたことを述べます。
願書・面接指導を正式なサービスとする
昨年度は願書・面接指導を行っておりませんでしたが、縁あって数家族の方の願書・面接にかかわりました。幸い皆さま最善の学校への進学が決まりましたが、直前であったりして十分な対応ができなかった面もありました。本年度は体制を整えて臨むことといたします。
本物になること
私が幼児教室を創業し、運営していたころ、小学校難関校の考査の一部はかなり難問で、子どもに準備のためかなりの負荷を負わせる場合があり、モンテッソーリ教育法の指導者達の一部は受験指導に疑問を持っていました。以前、複数の校長や教頭に入試の成績とその後の伸びについて質問したことがあります。「実は余り相関はない」との答えた以外と多かったのです。「知的好奇心が高い子どもが伸びる」とのお話を伺いました。今はそのせいか、知力以外の「頑張る力」等について語る教育者もおられます。色々な能力の側面の話は後日行います。私感としては、本当の思考力を問う良問が増加しています。
そもそも私が幼稚園・小学校の願書・面接指導を始めましたのは、「合格」のためだけに願書・面接のハウツウを指導するためでなく、早い時期からご両親に「あるべき子育て」を理解してもらい、日常の生活でそれを実践することにより、受験準備そのものが子どもの望ましい成長につながることを望んだからです。つまり、実りのある受験準備をしてもらい、ご両親もお子様も本物になって欲しいとの思いからでした。
現在の子どもを取り巻く子育て環境、未来の社会に対応できる教育、親の価値観や子育て観、志望校の教育実践など全てを総点検して、明確なビジョンを持つことが肝要です。それで初めて相手の心に響く願書が書け、面接が成立するのです。またそれは、受験の結果にかかわらず、その過程で得られたものは家族の大きな資産になるのです。
入学・入園後の問題点
人生は常にゴールがスタートともなります。希望園・校に合格してもそこには色々乗り越えなくて壁が存在します。私立にもいじめが存在しますし、不登校もある。担当教師の当たり外れもあります。学校の教育に任せっぱなしで良いのかという問題もあります。例えば、慶應に進学しても各家庭の目指す教育のもとに家庭毎の取り組みが必要でしょう。
停滞の平成と言われていますが、教育においても激動する時代に対応できる人材教育がされていませんでした。ですから、今更ながら、英語が出来てITに対する能力があり、時代を先導するリーダーとなり得る人材不足に慌てています。これは日本にとっても、日本の若者にとっても、不幸な現象です。研究機関は海外に持って行かれ、役員はインド人等の外国人で占められてしまうのです。
昨年は日本の教育改革の遅さに思いを致すことが多く、世界の教育改革の実態について少し述べたいと思います。
1990年代の世界の教育改革
世界各国は1990年以降、新しい時代を生き残るための教育改革を必死で行ってきました。特に資源の少ない国は、人材こそ唯一の資源です。
1998年に平成は始まりますが、同年にベルリンの壁は壊され、1991年にはソビエト連邦が崩壊します。中国では民主化を求めて天安門事件が起きましたが、鎮圧され、中国は中央集権と市場経済を組み合わせた新たなハイブリット体制に移行しました。未来学者トフラーの『第三の波』では情報革命による情報化社会を提示しました。
来たるべきグローバリゼーションと情報化に備えて各国では大胆な国運を掛け教育改革を行いました。
フィンランドはもともと教育先進国でもありませんでした。1991年に隣国ソビエトが崩壊してから、貿易相手国を失い経済的苦境が訪れました。もともと岩ばかりの国で、木も魚も大きく育たず人材以外の資源しかありませんでした。そこで1990年代に教育大改革を行いました。権限を現場に大幅に与え、教育目標は「覚える」ことでもなく「習熟」することでもなく、「学びことを学ぶ」ことや「自ら考える」ことなどに重点が置かれました。その結果OECDが行ったPISAのテストでもいきなりトップに躍り出て世界を驚かせました。フィンランドは今PISA注1のテストにこだわらず、より望ましい教育を行っているとの話です。産業においても155万人の人口ながらノキアを始め世界的な企業が生まれ、現在では交通手段を一体化したWaaSの先進国であり、携帯一本ですべての交通手段が結びついているウーバーの、無人運転トラム等の利用も可能です。
余談ですが、アメリカの戦略家が5Gで中国に対抗するために、フィンランドのノキア、スウェーデンのエリクソンを買収すべきであるとの提言をしました。日本企業の名前が出てこないのは残念です。
(注1PISAとは:OECDが進めている学力到達度調査で15歳児を対象に読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシーの三分野について3年毎に長さを実施する。)
エストニアはバルト海を挟んでフィンランドと向き合う人口130万の小国です。1991年にソビエト連邦から独立しました。フィンランドと同様に天然資源の少ない小国はインターネット経済と大規模な技術革新がこれからの国を支える柱であるとして、教育に力を入れ国の未来をITに託しました。コンピューターを教室に配備する全国的なプロジェクトを展開し、1998年までにはすべての学校がインターネットに接続しました。2020年には5歳児にコーティングを教えるプログラミング(Programming Tiger)指導を行うと発表されました。エストニアは小国ながら今は、IT大国として世界の注目の的となっています。
韓国、中国においては1990年ごろから小学校3年生に英語が導入され、首都部では1年生から取り入れていました。現在韓国小学校では週3回英語の授業があり、熱心な家庭では家庭教師を利用しているといいます。かつては三大名門SKY(ソウル大学、高麗大学、延世大学)に入学することに若者は青春のすべてを捧げてきましたが、今はアメリカの名門大学に入学することを目指していると言われています。また、韓国ではIQ教育ではなくIT教育といわれています。私の知人の話を紹介しましょう。小学校2年のご子息は授業後週5日英語でアメリカの小学校の内容に授業を受けるプログラムに参加しています。初めからアメリカの大学、大学院に留学するつもりで準備しています。その知人の兄はアメリカの名門大学院卒業後GAFAの一角に勤め、年収も一億近いという話です。
イスラエルは小学校の過程に英語とプログラミングを導入し、それが今のIT起業の言動力になっているといわれている。
その他どこの主要国においても英語、IT教育に熱心です。
日本における教育改革
再び日本の教育改革について述べます。日本の教育改革はどのようなものであったのでしょうか。
「詰込み教育」→「ゆとり教育」→「脱ゆとり教育」
詰め込み教育への反省から中曽根内閣の主導により臨時教育審議会が発足し、「個性重視」、「生涯学習体系への移行」、「国際化、情報化など変化への移行」などの答申をまとめ1993年施行の学習指導要綱に反映されました。さらに橋本内閣下の中央教育審議会で全人的な「生きる力」の育成が必要であるとされ、教育課程審議会に引き継がれ、「総合的な学習の時間」をはじめとして各教科で「調べる学習」など思考力を付けることを目指した学習内容が盛り込まれた。1998年に小渕内閣下で「ゆとり教育」をスローガンとする学習指導要領が成立しました。小中学校では2002年、高等学校では2003年度からこの指導要領が施行されました。教科書では実験、観察、調査、研究、討論などが多く盛り込まれた。
ところがOECDのPISAの国際学力テストで順位を下げたことから問題視され、2007年安倍1次内閣が新設した教育再生会議(内閣府設置会議)において、授業時間、学習内容を増加させた学習指導要領が公示され、2011年~2013年に完全に実施され、「脱ゆとり教育」が始まりました。
しかし「ゆとり教育」は本当に失敗であったのだろうかとの議論があります。「ゆとり教育」の目的はPISAなどで測れない全人的な「生きる力」の育成ではなかったでしょうか。
私がヒヤリングした限りでは、「総合の時間」等をどのように活用したらよいのか現場では当惑していたようだ。全て現場の教師に丸投げで、ノウハウのプールやデーターベースも無いのだから。しかしそれは教師の経験値が積み重なれれば改善したであろうと思われます。私立においては「総合の時間」等のノウハウの過去の積み重ねによって類似の「ゆとり教育」への対応は公立よりもスムースであったといわれてます。
私は「ゆとり教育」の方向性は間違えていなかったと今でも思っています。また、「ゆとり」というネーミングも誤解を産む原因であったと思います。
日本の全ての教育改革は、実行力が弱く、腰折れに終わります。それは現場任せにして、行政からの支援・予算が薄いからです。その最たる例は先日の共通テストの記述式問題、英語のヒヤリング・スピーキングテストの問題です。たかがテストの問題ですが、長々やっていて結局は進まないのは何故なのでしょうか。
PISA結果比較
2015年と2018年の日本の実施結果を比べてみよう。
読海力:2018年 15位(2015年 8位 ↓)
数学 : 6位(2015年 5位 ↓)
科学 : 5位(2015年 2位 ↓)
注目すべきは、2015年テストは「ゆとり教育」で育った世代であり、2018年テストは「脱ゆとり教育」世代である。
「」OECDではIT機器使用の状況も調査しているが、日本は授業でパソコンなどを活用する割合がOECD加盟国で最下位となった。また「学校の勉強のためにインターネットのサービスを見る」の割合は最低であったが、学校外で「ネット上でチャットをする」「一人用ゲームをする」の頻度が加盟国中で最高であった。」
(以上は日経新聞から抜粋)
2018年OECD学力調査が示す日本の問題点
読解力の評価には今回「情報を評価する力」の観点が追加されました。現代教育の柱の一つに批判的思考(critical thinking)があります。critical thinkingとは相手を否定するということではないが、物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解することです。この観点からの教育は従来から日本は弱く、暗記や習熟が中心の教育法では育まれないものですが、むしろ日本の保守政権はこの様な教育を避けて来た感じがあります。若者が近現代史を学ぶことや、主権者教育を行うことも避けて来ました。高校過程までに政治を扱うことは文部次官通達で禁止されています。(下村元文科大臣や町村元文部大臣談)この「読解力」だけ低下している現象はシリアスであり、分析が必要と思われます。
また、グローバリゼーションに不可欠な英語能力に関しても、2020年から小学校5年生から教科化する予定ですが、その内容を見ると、机上の空論と思える部分があります。
欧州各国はもとより、韓国・中国に遅れることこと30年、インド、シンガポール、マレーシアなどの主要な国の若者と比べても日本人の若者の英語力は劣っています。ITリテラシーについても同様です。「問題解決能力」という教育の本質にかかわる能力においても懸念すべき状況です。
教育の憲法、教育基本法の改正教育とは
各国は未来に向けた人材改革に必死ですが、日本においては戦中・戦前の教育に戻すことに御執心な勢力が存在します。
「教育基本法」は、教育の憲法とも言われるものです。日本の最右翼の集団である「日本会議」の三好達は「教育基本法を改正して国民意識を直した上で日本国憲法を改正すべきだ」と主張しました。
2006年に政権を採った安倍内閣は早速「教育基本法」の改正にとりかかり同年12発15日国会で可決、12月22日に施行されました。安倍首相のスローガンは「教育再生」ですが、再生とは「あったものを再び生かす」とうことで、それは戦前の教育を再び取り戻すことです。「教育勅語」を校訓とする「森友事件」もこの流れです。
改正後の教育基本法では「公共の精神」「伝統の継承」「体系的な教育が組織的」「家庭教育」が強調され、教育行政においては「この法律及び他の法律の定めるところにより行われる」とし、国家、行政の介入を滲ませました。旧法では「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接の責任を負って行われるべきものである。」とされています。安倍首相の関心は「歴史教育(歴史修正主義)」「道徳教育(教育勅語)」「国家主権(国家のために国民が存在する)」であって、まさに戦前・戦中回帰趣味といえます。
憲法改正の自民党案も「国家権力の増大」「平和主義の棄却」一色です。
過去に回帰して、激動する社会に対応する人材教育ができるはずがないのです。この事実が、日本の教育改革を阻む大きな障碍となっていると思われます。
さて、次回では「ユダヤ式教育法」について触れてみましょう。祖国を追われて数千年、自分以外に頼るものが無いユダヤ民族は独自の教育法を生み出しました。世界各地で活躍しているユダヤ人は偶然ではなく、独自の教育法の賜物です。日本人はそこから何を学ぶべきか。
2020年2月20日
「子育てセミナー」主宰者
安藤 徳彰