◊◊「英語耳」はいつ育てるか◊◊
言語取得の臨界期
先日テニス仲間からラインがありました。「2歳半の孫娘が英語教室に通うけど大丈夫ですか」。幼いうちから英語を始めて、日本語の取得に影響が出るのでは、との心配です。この様な懸念は年齢の高い人ほど多く持つ様です。事実10年ぐらい前の教育書を読むと、「日本語を取得する前に、英語を教えたりすると害がある」とする論調のものもありました。しかし、そのような懸念は「仮説」であって、実証研究ではありませんでした。現実にはそのようなことは起こりませんでした。 言語習得の臨界期に関しての研究において、Lenneberg(1967)の説では「臨界期は12、13歳ごろの思春期あたりまで継続する」とされました。その後の研究により音声面における臨界期はもっと早くあることが論じられるようになりました。ある研究論文によりますと、「日本の英語学習者における音声面の臨界期は、6才から8才の小学校低学年の頃までであると考えられる」と述べられていますが、なぜか「臨界期が過ぎたからといって、英語の発音が不十分になるわけでない」と結んであります。「発音が不十分にならない」と言う帰結は実証研究にもとづくものでしょうか。トレーニングで英語はどこまで上達するのでしょうか。私の経験からすると、長じてから英語を始め、ネイティブスピーカーと同様になる人は極めて少数です。発音はトレーニングによって、ゆっくりなら真似ができても、「英語耳」というべき能力が固定化していて、日本語に無い音の峻別、アクセント、イントネーション、リズム、周波数等の違いや、早口、相手の出身地の訛り等が一体化して、複雑な議論の時など、どうしても聞き取れない部分が生じてしまうのです。 アメリカに移住した韓国語や中国語を母語とする移民の調査があります(ジョンソンとニューポート 1989)。「7歳までにアメリカに移民した子どもはネイティブスピーカーとほぼ同等の英語力を持つようになるが、8歳以降に移住の場合は急速に英語力取得の能力が落ちる」という調査結果でした。18歳以降で移住した人は、完璧に英語をマスター人はほとんどいなかったのです。これは、以下に述べる、「音」に対する敏感期、文法に対する敏感期を過ぎてしまった外国語学習がハンディキャップとなるからです。 言語学習には2種類の敏感期あります。 1. 音素および音韻の敏感期(0歳~2歳) 2. 文法学習の敏感期(3歳~8歳) 以下、1.2.について説明します。 1.音素および音韻の敏感期(0歳~2歳) 音素は最小単位の音(/a/ /i/ /u/ /e/ /o/ といった母音や/p/ /b/ /k/ 等の子音)で、音韻は単語のなかで意味を持つ最小単位の音(「パン」や「バン」)です。この様な音を識別する能力は人生の早い時期から始まっています。それは聴力が生存する上で早期に獲得することが不可欠だからです。聴覚は妊娠7ヶ月から機能して、母親の声などを聴きながら、生まれてからの準備をしています。 (参考1)日立基礎研究所の小泉英明氏は早い時期から、光ポトグラフィーやfMRIなどを使い、胎児の聴覚野は30週間で完成し、母親のお腹のなかで外からの音を聞いていること、新生児がすでにba/とda/や、ba/とbiといった音節の違いを識別できることを発見しました。 生まれたての赤ちゃんはすべての音を識別できますが、生後6ヶ月で母語以外の母音を聞く力が消失してしまいます。生後10ヶ月で子音への感受性も消失します。英語では「あ」でも数種類ありますが、日本語では一つだけです。子音も日本語にはないものがあります。英語の子音コントラスト/r/と/l/の識別力を、英語児と日本語児で比較した結果、6ヶ月児では差がなかったが、11ヶ月児では英語児に比べ日本児は有意に低下していたことを示した調査があります。また、日本語では子音の後に必ず母音がきますが(例「トラ」はtora)、英語では子音が重なることがあります。例えば、tryは英吾ではtとrを続けて発音しますが、日本人の場合は、脳が自動的に日本語の規則で補正するので、tの後に母音oを付け加えて、torai(トライ)となり、日本語英語になってしまうのです。このときrも日本語の「ラ」で、英語のlでもrでもない日本語の「ら」です)。 語学の場合でも、音楽の場合でも、聴力に関する能力は、早い段階で敏感期を迎え、能力が固定化するのです。絶対音感は8歳以降では取得できません。したがって、バイリンガルや才能ある音楽家になるためには、早い時期からスタートする必要があります。 赤ちゃんはすべての音を認識できるように生まれてきますが、やがて、耳にしない音声は、人生に必要ないものとして、早い時期に切り捨ててしまいます。そのほうが効率よく言語を習得できるのです。 (参考2)人間のような高等生物の育ち方は、脳の神経細胞が多い状態で生まれますが、やがて、不要な神経細胞は消滅していきます。この現象は、あらかじめ遺伝子にプログラムされている神経細胞の死(アポトーシス)で、多くは出生前に起きます。神経細胞同士の結合部分をシナプスと言いますが、生まれた直後からこのシナプスは一旦過剰に形成されます(シナプスの過形成)。このシナプスの結合によって神経回路ができ上ります。しかしながら生まれてから、外部の刺激を受けず、使われなかったシナプスは必要のないものとして次第に消滅します(シナプスの刈り込み)。この「刈り込み」のシステムは、生まれてくる環境に柔軟に対応できるようにするためのものです。例えば、生まれたての子猫に目隠しをしてしばらくすると、全盲の猫になり、生涯視力を取り戻すことができません。逆に、バイリンガルの環境に生まれた場合、自然とバイリンガルになります。 文が長くなってしまいますので、「文法学習の敏感期(3歳~8歳)」等につきましては、次回にいたします。